ジェンスン・フアンが語る「AI時代の賢さ」— 従来の知性はコモディティになる
NVIDIA CEOのジェンスン・フアン氏が、インタビューで「今まで会った中で一番賢い人は誰か」と問われた。彼の答えは、従来の「賢さ」の定義をひっくり返すものだった。
※以下の引用は動画インタビューからの日本語訳であり、発言の趣旨を伝えるための意訳を含む。
ジェンスン・フアンの発言
その質問には答えられませんね。皆さんが何を考えているかは分かります。「賢い」の定義とは、知能が高く、問題を解決でき、技術的な能力がある人のことでしょう。
でも、私はそういった能力は「コモディティ(ありふれた商品)」になっていくと考えています。AIがその部分を最も簡単にこなせることを、我々はまさに証明しようとしているところですから。
プログラミングについてもこう語っている。
誰もが「ソフトウェア・プログラミング」こそ究極の知的専門職だと思っていました。でも見てください、AIが最初に解決しているのは何ですか? ソフトウェア・プログラミングです。
実際、生成AIが最初に大きな商用インパクトを出した分野の一つがコード補完・コード生成だ。GitHub Copilotの登場以降、「人間にしかできない知的作業」の範囲は急速に狭まっている。
では、彼が考える「賢い人」とは何か。
長期的には、「賢い人」とは、技術的な鋭さと人間的な共感性の交差点にいる人のことです。
言葉にされないこと、角を曲がった先にあるもの(予見)、そして未知のものを推察する能力を持っている人です。先を見通せる人こそが、本当に賢い人です。
問題が実際に現れる前に、ただ「バイブス(感覚・予感)」を感じ取るだけで、未然に防ぐことができるのですから。
その「バイブス」は、データ、分析、第一原理、人生経験、知恵、そして他人を感じ取る力の組み合わせから生まれます。
ここで言う「バイブス」とは、経験や知識の蓄積から生まれる直感のことだ。データや論理だけでは掴めない暗黙知に近い。「なんとなく嫌な予感がする」「この人は信用できる」といった、言語化しにくい判断力を指している。
そして最後にこう締めくくった。
もっとも、そういう人はSAT(大学進学適性試験)の点数はひどいかもしれませんけどね。
AI時代の中核にいる人間がそう言っている重み
この発言が重いのは、NVIDIAがAIインフラの中核を担う企業だからだ。現在の大規模言語モデルの学習と推論は、実質的にGPUなしでは成り立たない。そのど真ん中にいるCEOが「従来の賢さはコモディティになる」と言っている。これは予測というより、内部から見た現実の描写に近い。
「賢さ」は変わるのではなく、比重が移る
ジェンスン氏が挙げた「バイブス」の構成要素——データ分析、第一原理、人生経験、知恵、他人への共感——は、別に新しいものではない。これらは昔から大事だとされてきた。
変わるのは比重だ。
これまでは、社会で何かを実現するために「技術力」「試験で測れる能力」が必要条件だった。いい大学に入り、技術を身につけ、それを使って問題を解く。この流れの中で、試験の点数や技術力は入場券の役割を果たしていた。
AIがその「入場券」の部分を代替しはじめている。プログラミングも、データ分析も、論理的な問題解決も、AIがかなりのレベルでこなせるようになった。入場券の価値が下がれば、相対的に別の能力の価値が上がる。
筆記試験の点数が意味を失う日
日本に置き換えるとわかりやすい。大学入学共通テストや筆記試験は、まさに「従来の賢さ」を測るものだ。記憶力、論理的思考力、情報処理速度。これらはAIが得意とする領域そのものだ。
もちろん、試験の成績がいい人はデータ分析や論理的思考ができるだろう。ただ、ジェンスン氏が語る「バイブス」の要素——人生経験、知恵、共感力——は、受験勉強では身につかない。
机の前にいなかった人が「賢い」時代
ここが一番考えさせられるところだ。
失敗しなければ知恵は身につかない。他人の痛みを知らなければ共感力は育たない。言葉にならない空気を読む力は、人とぶつかり合った経験から生まれる。
机の前で参考書を解いていた時間は、これらの経験とはほぼ無縁だ。むしろ、ガキ大将タイプの人間——友達とケンカし、いろんなトラブルに巻き込まれ、泥臭い人間関係を経験してきた人——の方が、ジェンスン氏の言う「バイブス」を持っているかもしれない。
従来の学歴エリートとは対照的な人間像が「賢い人」になりうる。これは学歴社会へのアンチテーゼというより、単に時代の要請が変わったということだ。
職業ギルドのジレンマ——会計士・税理士の場合
ただ、現実にはもう一つ厄介な問題がある。会計士や税理士のような「職業ギルド」の存在だ。
これらの資格は筆記試験で取得する。当然、試験にAIは使えない。どれだけ人間力があろうと、テストの点数がひどければギルドには入れない。ジェンスン氏の言う「バイブス型の賢さ」を持っていても、入場券がなければスタートラインに立てないのだ。
面白いのは、すでにギルドの中にいる人たちの話だ。税制の改正や会計基準のキャッチアップといった「知識の更新作業」は、AIによってずっと楽になる。その分、浮いた時間をどう使うかが問われる。
ここで二つの方向に分かれるだろう。一つは従来どおり専門知識の深掘りに時間を使う方向。もう一つは、クライアントとの対話や先を見通す力——つまりジェンスン氏の言うバイブスの領域——に時間を振る方向だ。
税務の正確性はAIが担保できるようになる。そのとき人間の税理士に求められるのは、「この制度改正は御社にどう影響しますか」と聞かれる前に自分から声をかけられるかどうかだろう。共感力や先を見る力をどう発信し、どう見せていくか。それが差になっていく。
「バイブス」は教えられるのか
ここに難しさがある。試験の点数は努力で上げられる。プログラミングは学べる。でも「バイブス」——つまり経験と共感の蓄積から来る直感——は、カリキュラムに組み込めるものではない。
もちろん、基礎的な学力や論理的思考力がいらなくなるわけではない。AIを使いこなすにも、問いを立てる力や結果を評価する力は必要だ。ただ、それだけでは足りない時代になりつつある。
これは教育のあり方を問い直す話になる。少なくとも、試験の成績だけで人の能力を測ることの限界は、もう見えはじめている。
ジェンスン氏の発言は、AIの進化がもたらす変化を的確に言い当てている。AIが知的労働を代替するほど、人間に残る価値は「人間にしかできないこと」に収束していく。そしてそれは、テストでは測れないものだ。